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【遠藤イヅルの名車カタログ】第93回 富士重工・ラビット
- おすすめコラム
- 2020.02.16
毎週お届けするイラストレーター遠藤イヅル氏による名車・珍車を紹介するコーナーです。 今週の名車は、「鉄スクーター」として人気が高い「富士重工・ラビット」のご紹介です。
■富士重工・ラビットS-301BH ■エンジン:空冷2ストローク単気筒
戦時中、性能が高く独創的な航空機を製造していた中島飛行機は、
敗戦によってGHQから航空機の開発製造を禁止された。
そこで中島飛行機は「富士産業」と名前を変え、
自転車、リヤカーから鍋に至るまでの民需品を作り、
敗戦によって疲弊した国民生活を助けることになった。
その中で同社のエンジニア達が注目したのが
戦前の中島飛行機時代に持ち込まれていた
アメリカのスクーター「パウエル」だった。
彼らは、これを範としてス日本の交通事情に合ったスクーターを作り、
戦後の主力製品にしようと考えた。
航空機を開発していた俊英たちによって開発は進み、
敗戦翌年の1946(昭和21)年6月には早くも試作車が完成。
さらに1947年からは生産型の「S-1」が発売を開始した。
ラビットスクーターはその後も改良を繰り返し、
同時期に生まれた三菱「シルバーピジョン」とともに、
日本の経済復興や発展に大きく貢献していった。
現在も「鉄スクーター」として人気が高いラビットでも
代表的なモデルが、ラビットスクーターとして
末期のモデルとなる「S-301」である。
S-301は1961(昭和36)年に「S-301A ジュニア」として登場。
エンジンは2スト単気筒123ccで、
トランスミッションはハンドチェンジ式の3段だった。
1964(昭和39)年にはエンジンをロータリーバルブ化した
「S-301Bジュニア」に、
同年12月にはS-301Bにトルクコンバータを搭載した
「S-301BH スーパーフロー」も登場したが、
ラビットスクーターは1968(昭和43)年に生産を終了した。
生産を終えた理由は、この頃すでに庶民の足は
さらに簡便で経済的な50ccの「ホンダ・スーパーカブ」と、
快適な乗用車や積載力が大幅に向上した商用車などの4輪車に
変わっていたためだった。
国産スクーターの再隆盛時代は、
このあとずっと後年まで待つことになる。